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会員紹介 前田 寿之 (前田ビデオ工房)

プロフィール

氏名前田 寿之 (まえだ としゆき)
会社名(屋号)前田ビデオ工房
住所千葉県市川市
ホームページhttp://maeda-video.sakura.ne.jp/

超ごきげん おじさん、ミュージカルを撮る

お仕事の内容をお聞かせください。
主に多いのは、ミュージカルを劇場・ホールで撮影。
ミュージカルを演じるのも、子供と大人がいるけど、やっぱり子供の方が多いね。子供と言っても、20歳くらいまでだからさ。でも、その反面、中学生もいるし。

60歳の人も、たまには出るよ。おじいさんの役とかで。劇団昴(すばる)や劇団四季を卒業してフリーになってるスター達も、そういう年をとった人たちは出るけどね。
でも、やっぱり若い人が多いよね。

子供なんていったら、文字が読めない小さい子もいるわけね。お母さんが口伝てで教えるの。
劇団に、お知り合いがいるんですか?
友達が劇団をやってて、北海道から九州まで、今、25箇所くらいで劇団を持ってるの。一年に一度、上海やカナダでも公演してる。
カナダでやる時は、向こうの子供達と、東京の子供達をジョイントさせて、向こうで何日間か教えるわけ。それでできるのは夏休みくらいだけどね。
上海でも、そう。上海の場合はね、向こうから来る主役クラスの5〜10人くらいの子供達と、こっちの子供達とジョイントさせて、公演日までに練習させて、公演日が決まると上海の劇場で公演。
前田さんも、同行するんですか?
カナダや上海は、行かないね。
というのはなぜか、というと、旅費も宿泊費も出させるんだけど、現地のビデオ業者を使った方が安くなるでしょ。

最初は、ちゃんとお金を出させて、北海道なんかも行ったんだよ。けど、そうすると、莫大な金額になるじゃない。だったら、北海道の業者を頼んだ方が安く済むわけだからさ。
行ってるのは、長野、鎌倉、茨城・・・関東近辺だね。
撮影は、どのような?
ミュージカルを撮る場合、引きの画と、ミドルショットと、僕は一番寄ってる画、バストショットくらいでさ、台詞を言ってる人を追いかける。そういう役割を決めてる。

ゲネプロで、みんなそれぞれに撮ってるから、どういう風に撮ってるかをチェックする。その時に、カメラ割りで、ここのシーンはこういう風に撮ってっていう注文を出す。
他の人がこういう風に撮ってるんだ、じゃ、僕はこっちを撮ろうって頭の中で考えるからね。撮ってる時も、絶えず編集することを考えながらミュージカルは撮ってるよね。

ミュージカルは、ネタが10個、20個あるわけ。僕は、もう10年以上撮ってるから、ほとんど知ってるわけ、そのネタを。ここでは、こういうシーンになるんだと、右のカメラはこれを撮ってとか、指示できるんだよね。
その他には、撮影していますか。
あと、やってるのは、幼稚園の発表会や、ピアノの発表会ぐらいだね。ステージでやるのを、3カメ・4カメぐらいで撮るってスタイルだね。

幼稚園は難しいね。

みんな、自分の顔を大きく撮ってもらいたいじゃない。でも、劇の種類によっては、たくさん出ちゃうと、そうしたいけど できない、ということが往々にしてあるんだよね。満足が与えられないんだよね。

僕は、稽古シーンも もちろん撮りに行くし、リハーサルも、一応、みんな集めて一日だけ撮る。
それを、幼稚園の時も、ファミレスかなんかで、レコーダー持っていって、みんながどういう風に撮ってるか、ちゃんとチェックしてさ、ここはこういう風に撮ってっていうのは一応やる。

昔は、それぞれに撮ってもらって、やったけど、みんながそれぞれが ここはいいな、ここの絵は撮らなくちゃって、てんでんバラバラに撮って、それを後でまとめるなんていうとさ、みんな同じところを撮ってたりしてさ。

だから、一応、カメラ割りは やるよね。
ビズネットへの入会は?
高橋さん(現会長、2014年現在)より、何ヶ月か、僕の方が新しいかもしんない。
高橋さんは、同期がけっこういっぱいいた、って言ってましたよ。
そうそうそう。そうなの。その時期。
ビデオは録っていたんですか?
最初に始めた時は、僕はまだ、テープの、カセットじゃなくて、録音テープでリール式のがあるでしょ。あの時、リール式の機械は・・・100万くらいしたのかなぁ。それをローンで買ってさ、それで始めたね。趣味で始めたの、やっぱり。

機械部分がショルダーになってて、線が付いて、カメラのところまで続いているような、そんなカメラ。
その時は、どんなものを撮ってたんですか?
趣味だからね。娘を撮ったりなんかしてた。

そのうちに、(上記の劇団の)僕の友達が、まだNHKやなんか、一人でさ、劇団に出たりしてたわけ。
一人芝居、二人芝居というのを銀座の劇場なんかでやるときにさ、撮ってっていうのを頼まれて、撮影したのがきっかけ。

それから、あとは、その友達が、もう自分も年だから、今度は子供達に教える劇団を作るって。
で、劇団が、まず、多摩に出来て、船橋に出来て、市川に出来て、浦安に出来て・・・、っていうようになってくる度に、僕の仕事が増えていった。
ビズネットに入会して、プラスになったことをお聞かせいただけますか?
僕は一番最初、一人でそういう風にやってたの。でも、一人だと撮れる映像の限界がある。

それから、ビデオの機械がどんどん出てくるじゃない。一般用の機械が。そうすると、いろんな人が買って、誰でも撮ってるわけだから、それだとはっきりいって、商売にならないでしょ。
商売にするためには、やっぱり2台から3台のカメラを使って、もっとテレビに映ってるような かっこいい映像を取り込まないと、お金が取れないなと。

それには一人じゃダメだから、仲間を、誰か人を頼まなくちゃいけない。その時に、やっぱり、志してるのはビズネットの中にはいるわけだからさ、その人たちを頼むことができるなぁ、と、それがきっかけ。

プライベートのことを聞いてみました

仕事のスタイルはありますか?
僕のスタイルは、一人2カメとかをやらずに、必ず人を頼んで、全部責任を持たせて、明るさから、シャッタースピードから、全部調節してもらう、そっちの方。
その代わり、儲けも少なくなるけどね。

でも、かっこいいじゃない。人間が多い方がさ。
学生時代は、どんな感じでした?
僕、芝居に憧れてたんだよね。

(上記の劇団の)友達と同じプロダクションを受けたことがあるの。俳優を目指して。
友達はNHKでやってた人だから。一番上の研究生。僕は、月謝を払って教えてもらう立場。そのくらいの差があった。17〜18歳の頃。

俳優って大変だな、時間がかかりそうだな、歌をやろうか、って思っても、歌がうまくないんだ。うまくないけど、歌の方へ いこうって。
昔は、音楽喫茶・ジャズ喫茶、ステージがあってさ、ライブハウスになってるんだよ。僕、そういう所にバンドで入り込んでさ。司会や歌をやってた。

でも、クラブなんか行くとね、ハンバーグ(菅原洋一)とかがいたわけ、僕なんかが歌うと、レベルがこんなに違うわけ。
だから、僕が主に歌ったのは喫茶店。クラブでは、歌わないわけ。高級なクラブではね。
そういうのって、昔、けっこうあったんですか?
あった。

ガンダムやなんかの歌を歌ってるさ、一郎・・・何 一郎だっけな・・・
水木一郎・・・ですか?
うん、水木一郎、わかる? 彼と、3人で、僕 やってたの、本当に。
え? えぇーーッ!?
その頃は、水木一郎じゃないよ、もちろん。早川俊夫っていうんだけどさ。都内や横浜のジャズ喫茶で3人で、真っ赤なブレザー着てさ、歌ったりしてた。
今は、全然 交流はないけどさ、僕んちに泊まりに来てたりしてさ。

彼は才能があったから、あぁいう風にいけたわけ。
でも、僕も、そういうことが好きだから、こっちの方にいけたんじゃないかな。
ええぇ、ありがとうございました。
どうも、どうも。