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会員紹介 野上 五十満

プロフィール

氏名野上 五十満 (のがみ いそみつ)
会社名(屋号)有限会社 ドルフィン交易
住所東京都 八王子市
ホームページhttps://dolphin50.com/

人生は旅。文芸の才が光る。

ビズネットに入会するきっかけは何ですか。
ビデオサロンですね。
記事ですか? 広告?
決めたのは、あの広告ですよ。20周年のあの広告。
それが強力なきっかけですけど、ビデオサロンは10年前くらいから読んでましたんで、初代の奥川さんの記事なんかにも触れてましたね。

だから、ビズネットという名前はアマチュアの頃から知ってました。
ああ、そうなんですね。じゃぁ、10年前からビデオとかは撮ってたんですか。じゃないと、ビデオサロンとか見ないですよね。
野上さん そうですね。
私は、パソコンの方が好きだったもので、パソコンで編集ができるということを常々考えていたんですけれども、VHSだとかカセットだとかいう時代も、ビデオは若干撮っていました。人様から借りてね。
編集するというところまでは、マシンがプア過ぎて、ダメだなってことは強く思ってたんですよ。

きっかけは、VAIOのタイプRっていうのに、プレミアのベーシックが入ってたんですね。DVDとかを焼くソフトもあったんで。
このマシンを買ったときからだと思いますね。
ビデオはあったんですか。
ビデオを一番最初に買ったのは、ソニーの一番最初にハイビジョンになった CX・・・12だったかな。
これを買って、ビデオクラブに入ったんですけども、そのビデオクラブではHD(ハイビジョン)はスクリーンに映せないって言われちゃったの。焼くところまでは できたんですけど。
その頃が、私のスタートだったと思いますね。
ビデオクラブでは、どのようなことをやられてたんですか。
旅行に行った時の撮影とか、高尾山とか、近くを散歩して、ビデオを撮りましたね。
年間の映像祭っていうのがあるんで、それでブラッシュアップして。
仕事的な撮影はありますか。
あっ、あります。
書道をやってるんですけども、「書芸文化院」というところの太久磨書芸社の理事長さんが亡くなられて、これ(没後23年の回顧展のブルーレイ)が私としては初めての業務的な作品ですね。
書道をやってるんですね。
あれ? これ(壁に掛かってる書道)、野上さんが書いたの? すっごい達筆ですね。
書道は七段、ということで・・・。
七段!? 書道の世界は よくわからないんですが、その上は あるんですか。
十段あって、あと師範という形ですね。年数を重ねていくと、上がっていくんですよ(笑)
いやいや、そういう訳じゃないでしょ(笑) 素晴らしいです。
ビズネットに入会してプラスになったことってありますか? 入会して、まだ間がありませんが。
やっぱり、知識を教えてもらえるってことだよね。
あ、そう? すぐにそういうのは感じました?
感じた。
今までも、ビデオクラブには入ってたんでしょ?
だけど違う、真剣味が。
ビデオクラブは、同好会みたいなものですから、その人が OKよ、って言っちゃえば、それ以上は そうじゃないんだよ、とは言えないところがアマチュアだと思うんですよね。

だけど、プロの場合だったら、この前も聞きましたけど、雪の降ったシーンでホワイトバランスを取ってなければ、ブルーになっちゃうよって言われた時に、ブルーになったやつを お客さんは受け付けてくれないだろうと、雪は雪の真っ白なものが、プロに頼んでいてブルーになったら何ぞや、ってことになっちゃうし。

ちょっと蹴っ飛ばされて ブレちゃったやつとか、これごめんね、とは とても言えない。
そういうのをヒシヒシと、皆さんの感覚的なことから感じる。
あと、撮っていいかってことも、安易に自分勝手なカメラで撮るってことはできないんだなとか、ビシビシ感じましたよね。
たぶん・・・、そういう人もいれば、そうじゃない、わりと ゆるい人もいると思いますよ。
でも、それにはきちんと理由があって。設定を間違えて全体がダメになっちゃうよりは、オートにして失敗をしたくないとか、映ってないとダメだから。
自分は ゆるい方なので(笑)
ははは(笑)
確かに、でも、皆さんのビジネスとしての考え方っていうのは、お金が掛かってるなぁって。

安心したのは、この前の卒園式の上映(勉強目的で定例会の時に行なった)で、ルーチンワークだなぁって。綺麗に撮れてるってことが一番のことなんだなぁって。それが基本だと思いますね。
私なんかは、芸術的に撮って、それをどうつなげていくか、っていうことばっかり考えてきてたから、あれを見たときに、肩の荷が下りたっていうか。素直にカメラの配置を教えてもらったり、一人ひとりの顔が命なんだろうなって感じましたね。
保護者の方が、自分の子供は映ってるかなってね。
そうですね。
アマとプロというよりも、生きていく上での姿勢みたいなものでしょうか。

プライベートのことを聞いてみました

学生時代は、どんな?
22歳くらいのときかな。語学留学をしていました。
語学留学? (アルバムを出してきて) おぉ、古い写真が出てきましたね。
1969年、オリンピックの5年後ですよ。
ハバロフスクっていって、ロシアの船に乗って、横浜の大桟橋から出かけて行ったって感じなんだよね。
ロシアの、こういう・・・
ロケット!? へぇ・・・。
ノルウェーに行って・・・。ここはデンマークね。ここは寄宿舎も持ってたし、寝起きを共にしたっちゅうかね。
デンマークだと、何語になるんですか。
野上さん デンマークは、デンマーク語。
この後、ロンドンに渡るんだけれど。これがコペンの、白黒で・・・。半年は雪で埋もれてるけどね。
アルバイトもしたよ。カフェテリアでさ。

それから、イギリス、イングランドに渡って。コペンから船に乗って、2泊3日。
これは、ヒッチハイクに出て、スコットランドまで行ったんだけどね。
あ、野宿してる。
信じられないくらい度胸があったよ(笑) 向こうのお巡りさんにもお世話になったしね。
向こうの大きな山にも登った。
オランダ。
また、戻ってきてね。もう、日本に帰ろうと思ったんだよ、一旦。
イギリスに行ったときも、学校に通ったんですか?
通った。
学校・・・って、どうやって入るんですか?
日本でもあるように、語学学校。外国から来た人たちのための・・・
あぁ、留学生とか、日本の大学に入る前に、言葉を学ぶ学校に入るような・・・
そうそうそう、そういう感じで。その学校に入ってるとね、普通 6ヶ月くらいかな、滞在が許されるのが。それがもっと長くなる。

で、2年経って、スペインとかフランスとかを回りながら、日本に帰ってくるんだけど。
その国々の学校に行ってってことですか。
ううん、長いのは、コペンとロンドンなんだけど、その間 旅行もしたし・・・
スペイン、闘牛っぽい。カタルーニャ地方?
そうだね。バルセロナにも行ったけど。
これは、トレドだったっけな・・・。それから、スイスにも渡って。
いろんなところを観光しながら、ロシア経由で2年間の滞在を終えて、5月29日に帰国した。
すごい、ちゃんと記録が残ってる。
七人兄弟の一番下だから許されたんだよ(笑)
自分自身の、人生は旅である、っていう考え方で。
へぇ、面白いですね。ありがとうございました。
どうもありがとうございました。